1分でわかる、
鈴木しろう「人生の選択」

01

長崎市に産まれる

1967年(昭和42)7月、長崎市(出島町)で男ばかり4人兄弟の末っ子(四男)

長崎市生まれ。母と鈴木史朗。
祖母の精霊流しに参加する幼少期の鈴木史朗

02

幼少期

4歳から諏訪幼稚園へ。園児による龍踊りでは玉持ちを担当。

03

小学校の頃

小学校は新興善小学校へ。幼い頃から昆虫などの生き物が好きで、その後、時刻表(机上旅行)→ルービックキューブ→天体…と、好奇心のおもむくままに趣味が変遷。

長崎市立新興善小学校時代の鈴木史朗
長崎大水害で被災した自宅

04

中学・高校の頃

青雲中学・高等学校に進学。路面電車とバスを乗り継ぎ、片道1時間半近くかけて通学。ロック音楽にハマり、ビートルズ、ローリングストーンズ、U2などを聴きまくる。また、中3の時には長崎大水害で、中島川に面した自宅が被災。

05

〈人生の選択その1〉

困っている人の役に立ちたい

高2の進路選択では、天文学者にあこがれて理学部天文学科を目指すことも考えたが、祖父・田川務(弁護士、元長崎市長)のように「困っている人たちに寄り添う弁護士になりたい」と思い、東京大学法学部を志望し、入学。

長崎くんちに参加する鈴木史朗
友人たちと共に自転車で全国各地を訪ねる鈴木史朗。

06

趣味に没頭

多趣味なのは子供時代から変わらず、特に天体観測やロック、自転車(坂バカ)に熱中。
自転車旅行の行く先々で友だちの輪を広げる。

07

〈人生の選択その2〉

ボディビル・アンド・ウェイトリフティング部へ

入学後、部活では「全国優勝を目指せるような強い運動部に入りたい」と考え、ボディビル・アンド・ウェイトリフティング(B&W)部へ入部。大学2年時の関東学生ボディビル選手権新人戦で優勝。大学4年時の全日本学生パワーリフティング選手権67.5kg級で優勝。

東京大学ボディビル・アンド・ウェイトリフティング部時代の鈴木史朗。

08

〈人生の選択その3〉

故郷・長崎の発展のために

寝台列車で東京から約20時間かかった帰省。この距離というハンディキャップを無くしたいという一心で運輸省を志望し、入省。 運輸省(2001年から国土交通省)内では国際、観光、海事、海上保安、鉄道など、幅広い業務を経験。省外への出向で、地方創生、国際平和協力や未上場JR会社の経営自立推進などを経験したほか、WTO(世界貿易機関)などの政府間交渉への対応能力に磨きをかけるため、国土交通省(旧運輸省)から、英米の3大学院へ計3年間派遣(3修士号取得)。

鈴木史朗 ロンドン大学の卒業証書授与式
ロンドン大学の卒業証書授与式
インドネシア・バリ島のASEAN+3観光会議にて。鈴木史朗は写真左。
インドネシア・バリ島のASEAN+3観光会議にて
南スーダン難民キャンプの子どもたちと鈴木史朗。
南スーダン難民キャンプの子どもたちと
南スーダン難民へ人道支援物資を贈る様子
南スーダン難民へ人道支援物資を贈る様子
パレスチナ・ガザ地区難民へ人道支援物資を贈る様子。右端が鈴木史朗。
パレスチナ・ガザ地区難民へ人道支援物資を贈る様子
新型コロナでは内閣官房の省庁横断チーム長として現場を指揮する鈴木史朗。
新型コロナ流行初期、中国・武漢市からの帰国者支援のため、内閣官房の省庁横断チーム長として現場を指揮
鈴木史朗、結婚。

09

〈人生の選択その4〉

結婚

運輸省に入省5年目、妻と出会い、 九州をバックグラウンドに持つ者同士で共感するところ多く、 翌年結婚。2人の子供に恵まれる。

10

〈人生の選択その5〉

人生最大の選択! 長崎へUターン

2022年6月、九州運輸局長に着任、九州全体の運輸・観光行政の責任者となり、今の長崎市のチャンスとピンチの状況を目の当たりにする。「自らの経験、ネットワークなどの全てを大切な故郷に捧げることこそ最善のご恩返しである」との思いから、2022年12月に31年勤めた国土交通省を辞職し、長崎市へUターン。